Fプロジェクト 第13回 淀川製鋼所篇
「ヨドコウ迎賓館」公開プロジェクト
100年の時を超えて守り継ぐフランク・ロイド・ライトの遺産
フランク・ロイド・ライトは近代建築の巨匠と呼ばれるアメリカの建築家だ。ニューヨークのグッゲンハイム美術館や明治村にその一部が移築されている帝国ホテル旧本館、そして自然との共存を目指した多くの住宅を残した。彼の建築作品は高く評価され、2019年7月には「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として、アメリカ国内の建築8件がユネスコの世界文化遺産に登録された。そのライトが大正期の日本で設計した希少な建築物が、兵庫県芦屋市で大切に保存され一般公開されている。ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)だ。
今回のFプロジェクトでは、100年前、大正モダニズムの時代に誕生したライトの建築と、その文化遺産を守り、継承する淀川製鋼所の物語を紹介する。
4階の食堂から、芦屋の街を見渡せるバルコニーへ。
フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright 〈1867-1959〉
アメリカ・ウィスコンシン州生まれ。20世紀に活躍した近代建築の巨匠。“有機的建築”を標榜し、主に住宅建築で数多くの傑作を残した。
代表作は「落水荘(Fallingwater)」〈カウフマン邸、1935年竣工〉など。
フランク・ロイド・ライトの有機的建築
関西随一の高級住宅地として知られる兵庫県芦屋市。六甲山地の東南麓に位置する風光明媚な自然環境と、大阪にも神戸にも近いという地の利から、住宅地として開発が進められ、大正時代になると関西の財界人などの邸宅が建てられるようになった。国指定重要文化財のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)も、そんな時代に生まれた建築だ。
神戸・灘の酒造家であった八代目山邑太左衛門は、帝国ホテルを設計・建設するため来日していたフランク・ロイド・ライトに、自宅別邸の設計を依頼した。著名な建築家への依頼は、娘婿・星島二郎とその親友でライトの弟子であった建築家の遠藤新(あらた)を通じて実現した。1918(大正7)年、基本設計を終えた。1922(大正11)年にライトが帝国ホテルの完成を待たずに帰国すると、その後遠藤新と南信(みなみまこと)がライトの原設計を基に実施設計と監理を行い、1924(大正13)年に竣工した。
ライトの建築思想とされる「有機的建築」は、土地と建物が一体化した形状、自然物をモチーフにした装飾・造形など、自然との共存を目指すという考え方だ。
芦屋川に架かる開森橋から望むと、ヨドコウ迎賓館は緑豊かな丘陵の樹木の中から空に突き出すようにその姿を見せていた。尾根の傾斜を取り込みながら、地形に沿って階段状にフロアを配した4階建ての建物は、まさに「自然と建築の融合」というライトの思想を表現しているように見えた。
開森橋の袂あたりを起点とする“ライト坂”の急な坂道を上り、門を入ってアプローチを進むと、立派な車寄せの前に出る。壁面には大谷石の装飾が施され、荘厳な雰囲気を漂わせている。どっしりとした柱と梁が額縁のような矩形を成し、車寄せは周囲の樹木の緑や空の景色、四季のうつろいを絵画のように眺望できる空間ともなっていた。
玄関を入り、階段を上がった先にあったのは応接室。左右に大きな窓を配した天井の高い広々とした部屋には、窓からの眺めを楽しむためのベンチもしつらえられている。天井近くには通風口と装飾を兼ねた多数の小窓が並んでいる。
応接室を出て3階へ上ると、西側に大きな開口を設けた印象的な廊下が続いていた。窓には、植物の葉をモチーフにした飾り銅板が配され、銅板越しの光が廊下の床面に象られている。この飾り銅板もライト建築の個性のひとつだ。意図して銅を酸化させ、緑青と呼ばれる緑色の錆を纏わせ室内装飾のアクセントに用いた。
廊下の右手、3段ほど上がったところには、3間続きの和室が並んでいる。ライトの設計には存在しなかったが、施主の強い要望でつくられたという。和室の欄間や窓にも同じ飾り銅板が使われており、和洋折衷の趣を生み出している。訪れた日、和室には毎年展示しているという山邑家ゆかりの雛人形が飾られ、来館者の目を楽しませていた。
和室のある3階は、廊下の先が家族のプライベートエリアで、家族寝室、その隣には畳敷きの婦人室があり、タイル貼りの洗面台や浴室、トイレが設けられ、奥には住み込みの使用人の部屋も用意されていた。
さらに階段を上がると最上階の4階、食堂として使われていた部屋は、四角錐の天井、三角形の小窓、暖炉を中心としたシンメトリーなデザインが美しく、心地よい。
暖炉の横を抜けると広い厨房があった。山邑家は、沿線の私鉄から直接電線を引き込み、100年前にオール電化の生活を送っていた。電気給湯器の湯を使うことができ、厨房では冷蔵庫やオーブンなど高価な電化製品を使用していたという。
食堂からバルコニーに出ると、目の前に大きな眺望が広がる。大阪湾に沿って架かる阪神高速湾岸線の斜張橋、光る海原、風に流れる雲、手前には芦屋の街と緑。その美しい景観を堪能して振り返れば、建物の一番高いところにある食堂の台形屋根や高く伸びる煙突が目に入る。軒先に配された大谷石や庇に施された飾り石がこの建物を魅力的なものにしている。フランク・ロイド・ライトが日本での建築に好んで使った大谷石が、ここでも存在感を放っていた。
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建物最南端に位置する車寄せ(玄関)。床には大谷石が敷き詰められ、花台をはじめ、随所に施された大谷石の装飾が出迎える。
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車寄せの待合。その矩形の眺望はまるで絵画。
2階応接室。高低二重の天井を持ち、上部に連続して設けられた小窓は採光の役割も担っている。
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建築主の酒造家・八代目山邑太左衛門とライト帰国後に実施設計・監理を行った遠藤新(左)
戦禍を免れ、淀川製鋼所社長邸に
竣工から10年、八代目山邑太左衛門は邸宅を手放すこととなった。1935(昭和10)年、親交のあった実業家に売却され、別荘として、時には事務所として使われた。戦災に見舞われることはなかったが、第二次世界大戦直後には進駐軍の社交場となったこともあった。
1947(昭和22)年、淀川製鋼所がこの邸宅を購入することとなった。政治家でもあった当時の宇田耕一社長は、内外の要人と会食や懇談をするための社長邸を探す中でこの建物と巡り合ったが、ライトの設計とは知らなかった。当時、“もてなしの場”として使用された歴史が、現在の「迎賓館」という名称につながっている。
1959(昭和34)年からは米国人貿易商に貸し出され、家族の住居として使用された。その後一時的に淀川製鋼所の独身寮として使われた時期もあった。独身寮時代には十数人の社員がここで暮らした。応接室には2段ベッドを並べ、3階の和室は襖で仕切って布団を敷いて寝た。住み込みの寮母さんが食事をつくり、4階の食堂で食事をしていたという。今から思えばライト設計の邸宅での暮らしはうらやましい経験だが、当時の住人にとっては、仕事を終えて食事をとり休息をする日常の生活の場であった。
社長の英断で取り壊しを回避 重要文化財に
竣工から半世紀を迎えたころ、建物は老朽化が進み、雨漏りや床のひずみがひどくなっていった。淀川製鋼所は邸宅を取り壊し、跡地にマンションを建設することを計画、1971(昭和46)年10月にそれが公になると、日本建築学会や近隣住民を中心に「旧山邑家住宅を保存すべき」との声が上がり、波のように広がっていった。フランク・ロイド・ライトの傑作と謳われた旧帝国ホテルが取り壊されたのは1967(昭和42)年のことだった。この時も保存を望む声が上がったが、要望は叶わずに帝国ホテルは解体、建て替えられた。このニュースは大きな話題となり、フランク・ロイド・ライトという建築家の名前も広く人々に知られるようになっていた。こうした背景から「日本に現存するライト建築を守れ」という機運が高まったことも、保存運動に力を与えていた。
その声に真摯に耳を傾けたのが、当時の井上利行社長だった。井上社長は1971(昭和46)年11月30日に取り壊しの中止を決めた。解体工事が始まる前日のことだった。そして翌1972(昭和47)年、淀川製鋼所は建物の保存を決定した。
井上社長は、当時を振り返り次のような言葉を残している。
「私は淀川製鋼所を『ロマンとリアルの経営』によって広く発展させたい。…(中略)…それを目指してゆくうえに、この建物がヨドコウの一つの文化的シンボルとして、大きな働きをすることを期待しています。この度の建物の保存に踏み切った最大の理由は、私のこの情熱にあった、と理解していただければ幸いです」
現在、多くの企業がCSR(企業の社会的責任)やメセナ活動(文化・芸術支援活動)の重要性を謳っているが、すでに半世紀前の高度経済成長の時代に、経済的利益ではなく文化的価値やロマンを優先させた井上社長の決定は、時代に先駆けた英断だった。
マンション建設計画を撤回したとき、井上社長は文化財として旧山邑家住宅を残すことを考えていた。保存運動をしていた日本建築学会の専門家に、文化財指定を願い出るための推薦文を依頼している。1973(昭和48)年11月、淀川製鋼所と芦屋市は、重要文化財指定に関わる陳情書を文化庁長官あてに提出。
1974(昭和49)年5月21日、旧山邑家住宅(淀川製鋼所迎賓館)は、「大正期に建築された最初期の鉄筋コンクリート造の主屋建物」として重要文化財に指定された。
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3階西側の廊下。連続するすべての窓に建物を象徴する飾り銅板が嵌め込まれている。
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4階食堂。北側中央に暖炉を配した左右対称のデザインでマホガニーの木製飾りや換気口を兼ねた三角形の小窓が施されている。正四角錐の天井(左)は教会的な雰囲気を演出。
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4階バルコニーから食堂を望む。暖炉の煙突にまで装飾が施されている。
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3階家族寝室。中央には復元された机と椅子が鎮座する。
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1923(大正12)年竣工の「帝国ホテル旧本館」(東京都、現在は愛知県明治村に一部保存)。
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右/1947(昭和22)年に社長邸として購入した宇田耕一社長(当時)。政治家としても活躍し、石橋内閣・岸内閣で閣僚を務めた。
左/「旧山邑家住宅」の解体中止と保存決定の英断を下した井上利行社長(当時)。
重要文化財としての維持・保存・公開
重要文化財となった建築物を守り続けるためには調査や修理工事が不可欠となる。
1981(昭和56)年に修理の方針を策定するための調査が行われ、1985(昭和60)年7月からは建物の抜本的な修理が始まった。過去の修理・改修なども克明に追跡し、建築当初の姿に戻すための現状変更を行った。
この修理を経て1989(平成元)年6月、「淀川製鋼所迎賓館」の一般公開が始まった。
それ以後も大きな保存修理工事が行われている。1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災によって受けた構造体の破損や亀裂など災害復旧工事は3年に及び、2016(平成28)年には屋根の防水対策を大きな目的とした保存修理工事を実施した。こうした修理・修繕を行いながら、ヨドコウ迎賓館の一般公開は続けられている。
ヨドコウ迎賓館の維持、管理に奮闘している方たちにお話をうかがった。
ヨドコウ迎賓館館長の岩井忠之さんは、「昨年に竣工100年を迎えた建物ですから、日ごろから経年による劣化などを確認して補修をしています。維持管理という面では、火事が怖いので、火器を使用する際にはとても気を使いますね。それから、落ち葉の清掃が大変です」と語る。
ヨドコウ迎賓館の公開運営にも携わる淀川製鋼所の担当者は、「全国的にはまだあまり知られていない、ヨドコウ迎賓館をもっと多くの方に知っていただきたい」としながらも、「芦屋は観光地ではなく住宅街ですので、地域の住民の方々にご理解いただき、地域とつながりながら、ヨドコウ迎賓館を守り、文化を発信する拠点でありたいと思っています」と、単に“重要文化財”にとどまらない、地域とともに在ることの重要性についても言及する。
竣工100周年を前にした2023(令和5)年、建物の東側敷地の調査が行われた。竣工当時は庭園が存在していたが、その後の変遷の中で取り残されていた場所だった。調査の結果、その場所には温室や大谷石の渡り廊下、滝や池があったことが確認され、2024(令和6)年8月15日、敷地全体が重要文化財に追加指定された。
「直線を多用したライトならではのデザインがとても面白い建物です。球形照明の飾りバンド、三角や菱形の窓、復元された家具など見所がたくさんあります。周囲の自然や、時間帯によって変わる光と影といったライトの仕掛けも楽しむことができます」
岩井館長は、細部にいたるまでヨドコウ迎賓館の魅力を語ってくれた。
100年前、大正モダニズムの時代に生まれた、フランク・ロイド・ライトの遺作は今、50年前に建物の保存を決めた井上社長が願ったように、「ヨドコウ」の文化的シンボルとして、多くの人々に愛され、芦屋の街に息づいている。
1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災では、2階バルコニーの柱廊欠落(左)や1階玄関内壁の土壁部分が破損するなど、少なからず被害を受けた。
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ヨドコウ迎賓館館長の岩井忠之さん。
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2023(令和5)年1~9月の調査で出土した「滝の跡」(右)と大谷石が敷き詰められた「渡り廊下跡」。
COLUMN
山邑家ゆかりの雛人形展や、教育の場、文化・芸術の発信地として地域に寄り添う
淀川製鋼所は、この建物を文化財として維持・保存するだけでなく、芦屋の街に溶け込み、地域に愛される存在となるような活動にも力をいれている。
毎年春に催される山邑家ゆかりの雛人形展、地域の小学生の図画工作展や大学の建築系学部の講義の場として、またあしや芸術祭や芦屋国際音楽祭といった芸術イベントの会場としても活用され、館長自らも加わり地域の人々との交流を深めている。
また踊り場をはじめ館内のいたるところにさりげなく飾られている季節の生花も重要な役割を担っている。この場所を慈しみ、訪れる人をもてなそうという気持ちが伝わってくる。
こうした活動が評価され、ヨドコウ迎賓館は2023(令和5)年7月18日、公益社団法人企業メセナ協議会主催の「This
is MECENAT 2023」の認定を受けた。
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3階和室で毎年開催される「雛人形展」。
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2024(令和6)年は「第4回芦屋国際音楽祭」の 弦楽二重奏の演奏会場に。
ヨドコウ迎賓館/兵庫県芦屋市
フランク・ロイド・ライトの設計によるヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)は、兵庫県芦屋市の緑に囲まれた小高い丘の上に建ち、1974(昭和49)年に国の重要文化財に指定され、1989(平成元)年から一般公開されています。屋上のバルコニーからは六甲の山並みや芦屋市街、大阪湾を眺望できます。
開館日
水・土・日曜日、祝祭日
開館時間
10:00~16:00(入館は15:30まで)
詳しくは「ヨドコウ迎賓館」公式ホームページをご確認ください。
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https://www.yodoko-geihinkan.jp/

2024年に竣工100周年を迎えたことを記念し、「ヨドコウ迎賓館 竣工100周年記念動画」を制作しました。ヨドコウ迎賓館の歴史や建物の特徴に加え、重要文化財を活用した取り組みについても紹介しています。ぜひご覧ください。
「ヨドコウ迎賓館 竣工100周年記念動画」▶
