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機関誌「エフ」

Fプロジェクト 第9回 丸紅 篇

「丸紅ギャラリー」開館プロジェクト
九十余年の時を重ね紡がれた珠玉のコレクション


サンドロ・ボッティチェリ《美しきシモネッタ》
15世紀後半 テンペラ・板 丸紅蔵

 皇居の豊かな緑を間近に望める丸紅本社ビルの一画に、2021年11月美術館「丸紅ギャラリー」が開館した。展示されるのは染織品や染織図案、和洋の絵画といった丸紅コレクションの数々だ。江戸時代に遡る丸紅の事業の歩みの過程で、蒐集され、研究され、守られてきた見事な美術コレクションに出会うことで、訪れた人々は丸紅という企業の精神に触れることになる。独自の美術館が誕生するまでの長い長い物語を紐解いてみた。

新社屋建設と美術館開設計画

 2021年2月、東京・大手町に丸紅の新本社ビルが完成した。丸紅ギャラリーはこのビルの3階にある。ここに美術館を作ろうという話は、丸紅の新社屋建設計画を進める中で持ち上がった。
 「ビルの総合設計について千代田区と協議を重ねていたのですが、区からの要望もあって地域社会の文化教育等の向上に貢献する施設として美術館を開設することになりました。丸紅の膨大な美術品コレクションを多くの方に見ていただくことは会社の社会貢献活動にもなりますし、地域との交流を増やしていくことにもつながるという判断でした」
 総務部プロジェクト推進室長の中池拓さんが、美術館設立の経緯を説明してくれた。
 工事着手は2017年12月、新社屋の完成は2021年2月だった。この間に建築サイドで美術館としてどういうものにしていくか、検討を重ねた。アプローチとなる廊下の採光、展示空間や収蔵庫の照明や温湿度管理、消火設備など、美術館に必要な設備を整えていった。
 「ただ、杉浦館長がいらっしゃる前は、会社としてどういう位置づけでどこまでやろうということは明確になってはいませんでした」
 丸紅ギャラリー館長の杉浦 勉さんは、そのころパリにいた。大学で美術史を専攻した杉浦さんは、丸紅入社後、長年アートビジネスに携わりキュレーターとしても活躍してきた美術の専門家だ。その活躍は丸紅という企業を飛び超え、2016年1月からはパリ日本文化会館の館長を務めていた。
 2020年3月に帰国、4月に丸紅ギャラリーの館長に就任すると、開館の準備が一気に本格化した。
 美術館のコンセプトは「古今東西の美が共鳴する空間」と決まった。
 「丸紅の収蔵品というのは、日本の染織品、染織図案、そして日本の絵画・西洋の絵画、この三つの柱で構成されています。いずれもビジネスの延長線上で集まったものですが、新しくできる美術館は、『それぞれが響きあっているような空間になる』ということからコンセプトを決めました」と杉浦さん。

丸紅コレクションのなりたち

 日本有数の総合商社として知られる丸紅だが、1858年の創業から第二次世界大戦のころまでは、繊維を中心とした卸販売業者として発展したという歴史がある。その歩みは、昔も今も、世の人々の求めるものを、一歩先んじて提供するための努力とともにあった。
 染織品の蒐集は、大正末期から昭和初期にかけて、丸紅の前身である丸紅商店が、着物の新しいデザインを模索するために取り組んだ事業に端を発する。丸紅商店は大正末期の1925年に「名品会」という組織を作り、江戸期を中心とした古い時代の染織品の蒐集活動と研究を行った。主な目的は、古い時代の名品を研究し、そこから新たな発想を得て新感覚の商品を創作しようというもので、安土桃山時代から江戸時代にかけての能装束や小袖、近代の名匠たちによる着物などを機会のあるごとに蒐集した。また、蒐集の目的は研究・創作だけに留まらなかった。戦前・戦中の混迷期には染織の価値が次第に損なわれていくことを憂慮、「優れた染織品を後世に残すためにも」と活動が続けられ、一つめの柱となる、400点を超える染織品コレクションが形成された。
 「名品会」に続いて、「あかね会」という染織図案研究会も1927年から主宰した。画家、彫刻家、漆芸家、陶芸家など多様なジャンルの芸術家延べ約70名に毎年オリジナルのデザインを発表してもらい、それをもとにした展覧会「染織逸品会」を開催していた。この活動は後に「染織美術展覧会(美展)」と改称し、現在も京都丸紅株式会社に受け継がれているのだが、ここに寄せられた図案約600点が、丸紅コレクションの二つめの柱となっている。
 そして三つめの柱となるのが、近代日本絵画と西欧絵画から構成されるコレクションだが、この蒐集にはそれぞれ異なる経緯があった。
 近代日本絵画は、「あかね会」でオリジナルデザインを依頼した画家など、接点があった画家本人や画商を通じて蒐集したもので、社屋の廊下や役員室などの壁面を飾るために購入されていた。一方、西洋絵画は、輸入販売事業に取り組んだことによって蒐集されたものだ。
 丸紅は1969年から10年間、総合商社として初めて本格的に美術品の輸入販売事業を手掛け、「丸紅アート・ギャラリー」を運営、ルネサンス期以降の古典絵画や印象派、エコール・ド・パリの作品を数多く取り扱っていた。1964年の東京五輪から1970年の大阪万博開催に至る日本の高度経済成長期、豊かになった企業や日本の人々に、「美術品を購入し飾って楽しむ」という新たな価値の提案をするもので、この事業に長く関わったのが杉浦さんだった。
 「私は新入社員として入った時に希望して美術工芸品課に配属になり、1974年に設立したパレス・アートという美術品を専門に扱う子会社の立ち上げに関わることになりました。当時は、日本家屋の壁に飾るということを考えて取り扱い対象を印象派やエコール・ド・パリの作家に絞って作品を買い付けました」
 しかし、第二次オイルショックによって日本経済は大きな打撃を受け、その余波を受けて絵画ビジネスは1979年に中止された。その時点で営業用資産として残っていた絵画はすべて本社のコレクションに移管され、丸紅の西洋絵画コレクションとなった。

  • 丸紅ギャラリー館長 杉浦 勉さん

  • 1872(明治5)年、大阪に出店した「紅忠」店舗外観。

  • 1930(昭和5)年開催の第4回「美展」の様子。

  • 右/染分練緯地島取に柳模様小袖裂 安土桃山時代(16〜17世紀) 中/染分練緯地島取に柳模様小袖[復元] 1999年 左/重要文化財 染分縮緬地欅菊青海波模様振袖 江戸時代(18世紀前半) すべて丸紅蔵

  • 岡田三郎助《山野草》1934年 染織図案(部分) 33×95cm 京都丸紅蔵

開館までの準備期間はわずか6か月

 学芸員の丸塚花奈子さんが丸紅ギャラリーのスタッフに加わったのは、2021年4月のことだった。
 「以前は大学で染織品の研究をしながら博物館の学芸業務にも携わっていました。丸紅ギャラリーで染織品の展示や保管が必要になったことから、その分野の専門家としてお声をかけていただきました。開館が11月ということで、限られた時間の中での準備は想像以上に大変でした」
 美術館の開館準備は、設立準備室を設けて3~5年かけて進めるのが一般的だというが、1年半という短い期間で、しかも限られたスタッフで行うことになった。最初の1年はギャラリーの空間設計や開館記念展Ⅰの企画・空間構成に専念した。
 その後外部の倉庫に保管していた絵画などの美術品や、京都丸紅・京都文化博物館に寄託管理してもらっていた染織品を数回に分けて搬入・整理して、新たな美術館の収蔵庫に収蔵する作業があった。
 「染織品は400点を超える作品すべてを開封し、改めて調査しました。その時、昔の会社名入りの古い封筒がたくさん出てきました。おそらく防虫剤を入れていたのだと思います。第二次世界大戦中も収蔵品を疎開させて守っていたと聞いているのですが、戦中の厳しい時代にも大切に保存管理していたことがわかりました」
 丸塚さんは、当時の関係者たちに思いを馳せながら、そう語ってくれた。
 整理しなければならないコレクションの量が膨大だった上に、開館のためのパンフレットやポスターといった広報関連の製作物の作成も必要だった。ギャラリーの運営規定、貸出規定といった細部にわたる方針も決めなければならない。こうした準備が同時進行で進められていった。
 美術館の温湿度管理についても、試行錯誤があった。絵画と染織品では適切な温湿度が異なる。収蔵庫はそれぞれを分け適切な温湿度設定としているが、同じ室内で展示する時には両者にとって最適な温度湿度となるよう微妙な調整が必要。収蔵庫と展示室の温湿度の差が大きくならないような空調管理も重要だった。
 スタッフ一丸となって、こうした様々な準備に取り組み、11月1日、開館の日を迎えることができた。
 「忙しく大変ではありましたが、自分が美術館オープンの機会に携われたというのは、大きな経験で、勉強になりました」
 丸塚さんが準備期間の多忙さを振り返る一方、館長の杉浦さんは強者だった。丸紅のアートビジネスのみならず、丸紅経済研究所の初代所長就任、パリ日本文化会館の立ち上げ、アフリカのブルキナファソ大使館ができた時には特命全権大使を務めるなど、美術以外の分野でも未開のプロジェクトの立ち上げに関わってきたこともあって、きわめて短期間の開館準備にも動じなかった。
 「準備期間は短かったものの、総務部や広報部など優れたスタッフがいて、一生懸命に取り組んでくれたので、大変だと感じたことはありませんでした」
 杉浦さんは、ゆったりとした微笑を浮かべながら、スタッフたちの尽力を労った。
 コロナ禍で様々なイベントが自粛される中、丸紅ギャラリーもオープニングセレモニーを実施することなく、招待客には「ご都合の良い時にご観覧いただく」という形で開館することになった。
 開館記念展は開館から1年間、4回に分けて実施、丸紅コレクションの三本柱の全貌を紹介する計画。オープニング企画は「開館記念展Ⅰ 日仏近代絵画の響き合い」と題して、19世紀の写実派による風景画から始まり、ルノワール、コロー、ルドン、ヴラマンクなどフランス近代絵画の巨匠作品や、彼らから多大な影響を受けた梅原龍三郎、藤島武二、和田英作、岡田三郎助といった日本の洋画家の作品が展示された。
 訪れた観覧者の中には、かつて丸紅のアートビジネスに関わった関係者もいて感慨深げだったという。また、若手の丸紅社員の中にはこれまでコレクションを意識したことがなく、ギャラリーが開館したことで丸紅の芸術文化への深い思いを再認識した人も少なくはなかった。
 「美術好きの方や、散策の途中で訪れた一般のお客様からは、『丸紅がこれだけの美術品を持っているとは知らなかった』というお話をたくさんいただきました。ほかの収蔵品も見たいという声も寄せられていますので、これからも期待に応えられるような展示をしていきたいと思っています」と丸塚さん。
 現在、「開館記念展Ⅱ 『美』の追求と継承—丸紅コレクションのきもの—」が開催中だ。今回の展示では、丸紅が染織品のコレクションを作るに至った経緯とこれからどうしていくかが大きな一つのテーマとなっている。会期は、途中展示替えをしながら8月1日まで。
 この夏、美しいきものを鑑賞しながら、長きにわたって日本のきもの文化を守り、育んできた丸紅の足跡を辿ってみてはいかがだろうか。

  • 「丸紅アートギャラリー」カタログ『MASTERPIECES FROM BRITAIN』(1969年刊)

  • 丸紅ギャラリーの運営管理に関わる山本さん(右)と学芸員の丸塚さん。

  • 「丸紅ギャラリー開館記念展Ⅰ 日仏近代絵画の響き合い」では、ジャン=バティスト=カミーユ・コロー《ヴィル=タヴレーのあずまや》1847年(左)や和田英作《彦根内湖》1943年(右) も展示された。 ともに丸紅蔵

COLUMN

丸紅コレクションから着想を得た 「丸紅ギャラリー」のロゴマーク

 丸紅ギャラリーのロゴマークは、丸紅の歴史と縁の深い小袖から着想を得たもの。
 創業者である初代伊藤忠兵衛は初めて出張卸販売をした際、京都から淀川を下って大阪に入ったのち、泉州、紀州へと出向いた。当時忠兵衛も通った淀川の風景が描かれ、丸紅創業の精神に思いを巡らすことができる貴重な衣装が「納戸紋縮緬地淀の曳舟模様小袖」だ。丸紅ギャラリーのロゴは、その小袖に描かれた船頭と船、水の流れをモチーフとしてデザインされた。
  また二つの図形がなだらかにつながる様は、丸紅ギャラリーのコンセプトである“古今東西の美の共鳴”、そして丸紅と社会、芸術文化とのつながりを表現している。メインカラーには、小袖の納戸色をベースにアレンジした濃紺と、丸紅ギャラリーを代表する絵画の一つ、ボッティチェリの《美しきシモネッタ》の髪色をモチーフとしたゴールドを用いて、カラーでも“古今東西の美の共鳴”を表している。

納戸紋縮緬地淀の曳舟模様小袖
 江戸時代(18世紀後半) 下絵 伝 勝川春章 丸紅蔵

https://www.kyobeni.co.jp/info/mgallery2022/ https://www.marubeni.com/gallery/

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