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機関誌「エフ」

Fプロジェクト 第3回 東武鉄道 篇

SL「大樹」-SL復活運転プロジェクト-
「諦めない男たちが手繰り寄せた夢」

夏空の下に子どもたちの歓声が響く。汽笛が鳴り、白煙を吹き上げて、黒光りするSLが目の前に迫ってくる。車体に掲げられた「C11 207」のプレートと「大樹(たいじゅ)」の文字。2017年の夏、東武鉄道は約50年ぶりにSLを復活させた。それから1年余、多くの観光客がSL乗車を楽しみ、沿線では笑顔の人々がSLに手を振る光景が。SL「大樹」は、日光・鬼怒川エリアの新しい観光コンテンツとして人気と注目を集めている。当初、実現困難な夢のような話と言われたSL復活劇。プロジェクトを動かしたのは、諦めることなく夢を追い続けた不屈の男たちだった。

課題山積、SL復活は実現可能性の低い「夢」

2017年8月10日、東武鉄道下今市駅では、SL「大樹」の開業記念祝賀列車が出発の時を迎えていた。国土交通大臣、復興大臣、日光市長、JR各社等各鉄道会社の社長といったVIPと共に、SL復活プロジェクトに関わった多くの人々が集っていた。鉄道事業本部車両部の関山之郭さんは、動き始めた「大樹」の心地よい振動に身を任せた。「ようやくここまで辿りついた」。しばしの感慨に浸ると、今までの出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。東武鉄道が取り組んだ一大プロジェクト「東京スカイツリー®」の開業は2012年5月。その年の秋、あるワーキンググループが誕生した。次なる挑戦について議論する場である。関山さんもそのメンバーに選ばれた。数々のアイデアが出され、その中にSL復活案があった。しかし、1966年のSL廃止から約半世紀。SL車両はおろかその保守や運転ができる人も皆無だった。課題は多く、実現の可能性は極めて低い…。誰もがそう思った。ただ、この議論をきっかけに、メンバーたちの心にSL復活という夢の火種が宿ったことも事実だった。プロジェクトを公言するにはあまりに障壁が多すぎる。それでも夢を諦めきれない男たちは、水面下で動き始めた。

左/1959年 東武矢板線柄堀~玉生田澤義郎氏撮影。東武矢板線は鬼怒川線沿線地域で最後にSLを運転していた路線(1959年6月30日廃線)。
右/東武鉄道が1945年に自社発注・新造した、「大樹」と同型のC11形2号機。1963年まで運用された。

車両さえ調達できれば…東奔西走の日々

最大の課題はSLの調達だった。復活させるなら東武鉄道を走っていたC11がふさわしい。東武鉄道の資料や車両を蒐集・展示する東武博物館と協力して情報収集する傍ら、C11を保有する可能性のあるJR各社の人脈を辿って協力を要請した。少しでも可能性があると聞けばどこへでも飛んでいった。「血眼になって探しました」と関山さんは当時を振り返る。そんな日々が2年程続いたある日、JR北海道がC11の運行を休止するという情報が届いた。それを東武鉄道で走らせたい。しかし、新たな課題が浮上した。C11は小型のSLで、ATS(自動列車停止装置)の搭載スペースがない。十分な安全対策なくしてSL復活は実現しない。関山さんはJR各社に情報を請い、車両設計を行う部署にも相談して解決策を探った。そして辿り着いたのが、車掌車にATSを搭載してC11に連結する妙案だった。事態は見事に打開され、C11がJR北海道から貸与されることが決まった。夢が現実となることを自覚した時、人は喜びよりも恐れを抱くのかもしれない。「責任感に冷や汗が出ました」と関山さんはこの時の心境を語る。2014年9月、SL復活のための会議体ができ、関係者が定期的に集うようになった。その事務局を担当したのが、SL事業推進プロジェクトの部長を務めた浜田晋一さんだ。浜田さんはSL復活の意義を次のように説明する。「SL復活は、東日本大震災を機に観光客が減少した日光・鬼怒川地域に元気を取り戻す震災復興支援策として、取り組む価値のある魅力的な企画でした。復興支援という大義がJR各社からの多大な協力にもつながったと思います。近代産業遺産を継承する点でも意義深く、2012年に下今市駅で転車台の遺構が見つかったこともアイデアのヒントになりました」プロジェクトの専任になった関山さんは、車掌車、客車、SLの動力を補うディーゼル機関車を探し始めた。一筋縄ではいかなかったが、結果、鉄道マンの思いは伝わった。車掌車はJR貨物とJR西日本から、客車はJR四国から、ディーゼル機関車はJR東日本からの譲渡が決まった。

左/下今市SL機関庫に格納中の「大樹」。ATSを搭載した車掌車ヨ8643が真後ろに連結されている。横にはディーゼル機関車DE10形1099号機。
右/客車は14系と12系の6両を保有。うち3両は同形式におけるトップナンバーであり、鉄道産業文化遺産としてとても貴重な車両だ。

雪の北海道でSLのメンテナンスを学ぶ

車両調達の目途がつけば、次は人員の手配だ。SLのメンテナンスを行う保守要員と運転を担う乗務員の養成が必要だ。しかし、油にまみれ、高温のボイラーを焚く過酷な現場。好きでこそ務まる仕事だ。スタッフは“公募”となった。チームリーダーは辞令で、保守が須藤和男さん、運転が眞壁正人さんに決定した。関山さんが車両調達時から頼りにしていた二人だった。スタッフも揃い、2015年冬から研修が始まった。須藤さんの保守チームは、2016年1月からJR北海道での研修に臨んだ。雪が舞い、時に吹雪く。慣れない環境の下、全般検査や仕業検査などの技術を現場作業を通じて頭と体に叩き込んだ。たとえば保火作業。SLは運休日も缶(火室)の火を絶やせない。24時間体制で見守り火を保ち続ける。その火加減を五感に染み込ませた。研修内容に基づいた手順書作成のため4月に東京に戻ったが、5月から再び北海道で研修を再開、夏を迎えて全研修を終えた。8月12日、移送されるC11に付き添って保守チームも北海道を発った。C11はトレーラーに乗り、苫小牧からフェリーで海を渡って茨城県の大洗に上陸。そして数日後、新設された埼玉の南栗橋SL検修庫に到着した。

2016年1月、JR北海道苗穂工場での全般検査に向かうため同社旭川運転所でSLを解体。最終日は吹雪の中、本体を人力で積込み場所まで押し出した。
左上/SL検修庫が新設された南栗橋工場内で組み立てられる車掌車ヨ8709。
左下/転車台はJR西日本から2台を譲渡され、下今市駅と鬼怒川温泉駅に設置された。写真は下今市駅転車台工事の様子。

1年の実地研修で機関士免許を取得

運転チームの最初の使命は、SLやディーゼル機関車の運転免許の取得だった。研修先は秩父鉄道、大井川鐵道、真岡鐵道。期間は2016年1月から1年間。チーム責任者の眞壁さんも秩父鉄道で研修を受けた。“生き物”のように気まぐれなSLの車体を、人の感覚で制御する。ボイラーの火加減、蒸気の勢いなど、その感覚を掴むのに半年以上を要した。実技試験は、運輸局の試験官を迎え、秩父鉄道路線の10区間でSLの試験が行われた。発車や到着の時刻誤差、停止位置のずれは減点の対象だ。SLを動かす前の出庫点検や、距離の目測も試される。眞壁さんがSL機関士の免許を取得して戻った2016年12月、復活するSLの名称が発表された。「大樹」は世界遺産の日光東照宮から連想する「将軍」の別称・尊称であり、「東京スカイツリー®」をも想起させる意味合いからの命名だった。

右/運転室を見れば求められる技術の水準の高さを想像できる。
左/火室(缶)は機関士・機関助士・検修員により24時間火が保たれる。
須藤和男さん(左)率いる保守チームと眞壁正人さん率いる運転チーム、それぞれの技術と思いが噛み合うことで、SL「大樹」は“生き物”のようにレールの上を走り始めた。

2017年、SL復活プロジェクト加速

2017年1月、保守と運転のチームが南栗橋で合流、合同訓練が始まった。この時期苦労したのが、意見の統一だった。特に研修先が分かれた運転チームは流儀やノウハウがぶつかりあった。すり合わせながら東武流にまとめる作業が続き、4月21日に拠点の下今市機関区ができると、連帯感は日に日に深まっていった。5月2日の下今市機関区開設式では、SL機関庫や整備中の転車台、客車内を公開、乗務員の新しい制服も発表された。鬼怒川線での試運転初日となる5月14日には、まだ太陽も昇りきらない早朝から見物人が沿線に集まった。SLへの期待と関心の高さを感じながら運転したことを、眞壁さんは今も鮮明に思い出す。「ボイラーの水は傾斜次第で前後に移動します。どこでどの程度の水量が適切か。どれだけ圧力を要し、ディーゼル機関車のサポートが必要か。試行錯誤の日々でした」本番を想定した習熟運転が繰り返され、夏がやって来た。8月10日、SL復活の日の朝、須藤さんは「お願いだからちゃんと動いてくれ!」と祈る気持ちで「大樹」を見守った。眞壁さんは「訓練を重ねて今日を迎えたが、ここからがスタート。これからも技術の向上に努めていこう」と機関士たちに語りかけた。
あれから1年数ヵ月。「大樹」は今日も乗客を乗せて走る。下今市と共に転車台が設置された鬼怒川温泉駅前広場はSLの雄姿を見に来た観光客で賑わい、沿線では地元住民の方々が「大樹」と乗客に笑顔で手を振っている。「復活を果たしましたが、これからが大切です。日光・鬼怒川に止まらず会津方面までエリアを広げて活性化に寄与していきつつ、検査などで運転できない日をなくすためにもう1機SLを増やしたいと考えています」と浜田さん。諦めない男たちが手繰り寄せたSL復活の夢は、また新たな夢へと受け継がれている。

上/ご協力いただいた各社代表の方々との記念撮影。
左下/乗務員の制服も開業に合わせて新調された。
右下/前列が浜田晋一さん(左)と関山之郭さん、後列が須藤さんと眞壁さん。夢の実現から1年4ヵ月。その感動と喜びは今も色褪せることなく、次への活力となっている。

地域の人々もSLを応援! 「いっしょにロコモーション協議会」

地域振興という大きな目的があるとはいえ、汽笛や運転音、煙や匂い、鉄道ファンのふるまいなど、SLが走ることに不安を感じる沿線住民もいないわけではなかった。東武鉄道では、丁寧な説明と細やかな配慮を行うことで沿線住民の理解と協力を得ることに成功。地域ぐるみでSL復活を応援する「いっしょにロコモーション協議会」が設立された。今では、日光市内の観光協会、商工団体、旅館組合、各地区自治会等が一体となって、SL「大樹」沿線地域の魅力をPR、地域誘客による地域経済の活性化やファンづくりに取り組んでいる。

記念祝賀レセプションでは地元の神輿が出て賑わい、開業時には各駅のホームや沿線で多くの人が手を振った。

運転日は、下記お問い合わせ先またはホームページでご確認ください。

東武鉄道お客さまセンター
03-5962-0102
営業時間:8:30~19:00 年中無休(ただし年末年始を除く)
http://www.tobu.co.jp/
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