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機関誌「エフ」

創業物語前川製作所 篇

あと5年で創立100周年、 事業の原点は創業期にあり

 1924年(大正13年)、前川喜作が芝区(現 港区)で「前川商店」を創業しました。早稲田大学の機械科を卒業後、守谷商会で冷凍機および冷凍技術を学び、冷却エンジニアリングで独立をめざしました。当時、国内で「冷凍」・「冷凍機」は黎明期にあり、ハイテク技術の一つでした。1928年(昭和3年)、「前川商店」は化学肥料の冷凍プラント建設に参画、1930年(昭和5年)には現在の本社のある江東区深川に移り、冷凍機の製造工場と製氷冷蔵庫を併設、1937年(昭和12年)に株式会社前川製作所(以下、マエカワ)と改称しました。ここから冷凍機の国内製造とプラント施工を本格的に開始します。マエカワは、創業期において、「エンジニアリング」「冷凍機製造」「製氷事業」を同時に手掛けていました。戦争がはじまり1943年(昭和18年)には海軍監督工場として編入されます。 ここで冷凍機の大量生産を行い、併せて製造・設計・施工技術は飛躍的に向上します。戦争が終わり1947年(昭和22年)に海軍工廠より工作機械等の製造設備が払い下げられ、それが1955年(昭和30年)以降の躍進の基礎となりました。

 「製氷事業」もマエカワの礎をつくりました。空襲で全焼した深川製氷工場を1946年(昭和21年)に再建後、目白→浅草→月島→渋谷→調布と建築・増設を重ね、1958年(昭和33年)にはマエカワは製氷ビッグ2と目されるまでになりました。当時、「製氷」は経済発展に欠かせない事業で、これは新興国に共通し、後に全世界43か国、102拠点に海外展開をするのですが、進出時の基盤事業は「製氷」でした。「製氷事業」を評価する理由が他にもあります。土地整備から工場建設、内部の冷却コイルの製作、取り付けまで一貫して自社で手掛けたことです。最初の出氷まで"突貫工事で1か月完成"の記録は今でも語り継がれています。 "工作機でも何でも自分で造る"という「自前主義」が、「現場・現実」「アンチピラミッド型経営」「分業で仕事をしない」というマエカワ独自の町工場型の事業スタイルを育みました。

 1958年(昭和33年)、新型レシプロ冷凍機のフルシリーズの開発と量産を達成、"MYCOM"というブランドが誕生します。1960年(昭和35年)にはソ連へ大型の冷蔵庫のプラント輸出を成約、わずか1年で納入を果たし、日ソ友好貿易の一翼を担いました。1966年(昭和41年)には日本初のスクリュー冷凍機を開発。1971年(昭和46年)に前川正雄が社長に就任して以降は市場開拓にいっそう力を注ぎ、現在、「産冷」「食品」「ケミカル」「エネルギー」と各市場にご縁をいただき、国内外でご指導、ご支援を賜るに至っています。最後に創業期に流行った言葉を紹介します。「正しい事(理屈)は言うな!」です。-「頭だけで考えるな。それよりも感じたことを言え!」「人の感じたことを皆いっしょに感じて、いっしょに考えて、知恵を出そう」-マエカワのめざす「共同体」の基本的な考え方をあらわしています。

 つねに原点を忘れずに、創業100周年に向け、より良い製品でお客様の発展に寄与させていただけますよう全社一丸となって邁進してまいります。

株式会社前川製作所
創 業/1924年(大正13年)5月15日
本 社/東京都江東区牡丹3丁目14番15号 代表者/代表取締役社長 前川 真
http://www.mayekawa.co.jp/
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