芙蓉懇談会

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機関誌「エフ」

Fプロジェクト 第1回 損害保険ジャパン日本興亜 篇

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

「本物だけがもつ力」

 東京都西新宿、高層ビルの42階にその美術館はある。ほの暗い館内に穿たれた窓からは大東京の空と街並みが一望できる。
 「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」は、雄大な眺望とともにフィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』が常設展示されていることで名を馳せている。
 開館して今年で41年、美術館誕生のプロジェクトを推し進めた人々の思いと、その歩みを辿った。

「館長の中島隆太です。当館では、収蔵作品の充実を図るほか、芸術の振興や国際交流を目的に、内外の近現代作家の佳品を紹介する特別展や企画展も開催しています。」
損保ジャパン日本興亜本社ビル。美術館は42階。
《ひまわり》1888年、
油彩・キャンヴァス、100.5×76.5cm

損害保険会社が挑んだ美術館建設

 日本が高度経済成長から安定成長へと移行した1970年代。新宿駅西口には超高層ビルが次々に建設されていた。
 安田火災海上保険株式会社(現 損害保険ジャパン日本興亜株式会社)は、1976年3月竣工を目標に地上43階建ての本社ビル建設を計画。42階には美術館をつくることが構想されていた。
 美術館の建設は、創業時から社会に奉仕することを経営の思念としていた安田火災の思いを形にするものであった。
 当時の三好武夫社長は、会社と深い関わりをもつ東郷青児画伯の作品を中心に美術館を開設したいと考えていた。安田火災と東郷画伯の縁は、1920年代後半に遡る。安田火災の前身であった東京火災の南莞爾社長がその画風に着目し、東京火災の営業案内パンフレットやカレンダーに東郷作品を使用したことに始まり、絆は半世紀以上にわたって築き上げられていた。
 1974年4月、美術館構想を知った東郷画伯から、自身の作品と収集した内外作家の作品を無償で提供するとの申し出があった。この申し出により、美術館開設の方針がはっきりと定まった。
 本社ビルの高層階からの眺望とともに、東郷画伯の素晴らしい芸術作品を鑑賞する場を提供できれば、来館者は豊かな心持ちになれる。日本の芸術文化の振興にもつながる。三好社長を中心にプロジェクトは動き始めた。実働部隊となった安田火災の総務部は、他の企業美術館に教えを請い、文部省や文化庁といった関係省庁の指導を仰いだ。その過程で、美術館の公共性と社会的信頼を考慮、運営主体を会社の事業とは別の財団法人にすることが決定した。1976年3月22日、財団法人安田火災美術財団設立発起人会が開催された。発起人には、三好社長、東郷画伯らが名を連ねていた。5月には、安田火災海上本社ビルの落成披露セレモニーが開かれ、7月6日、東郷作品を常設展示する日本で唯一の美術館「東郷青児美術館」が開館。8日から一般公開が始まった。
 東郷画伯は展示方法や収蔵品の維持管理にも主導的に関わり、開館したばかりの美術館を導く存在だったが、1978年4月25日に急逝。美術館は転機を迎えることになった。

 
左/1965(昭和40)年頃の新宿駅西口の風景。同年廃止となった旧東京都淀橋浄水場跡の一角に本社ビルの建設が計画された。
右/1976年3月の竣工に向けて本社ビルの建設は順調に進められた。超高層ビルの建築ラッシュの時期でもあり、背景にはすでに完成したビルも見える。
写真提供=大成建設(株)

ゴッホ『ひまわり』との運命的邂逅

 1983年、安田火災の社長に就任した後藤康男社長は、先代の三好社長から会社経営の他に一つの課題を託された。美術館を世界に通用するものにすること。
 開館の理念を広く伝えるためには、より多くの人に美術館を知ってもらう必要がある。この頃から美術館は東郷作品以外の展示も積極的に行い、来館者を増やす試みを続けていくことになる。
 1987年、安田火災は翌年の創業100周年記念事業の一環として、名画の購入を計画していた。ロンドンで行われるクリスティーズのオークションにゴッホの『ひまわり』が出品されるという情報がもたらされたのは、そんな時であった。2月26日、クリスティーズの東京支社でプレビューが行われ、『ひまわり』を目にした後藤社長は「電流に打たれたようなショックと感動を覚えた」と後日、振り返っている。絵画が発するエネルギーは「健康・勇気・情熱」という安田火災の経営理念につながるとの実感があった。
 『ひまわり』の制作時期は1888年から1889年とされ、安田火災創業の1888年に重なる。『ひまわり』を入手し、美術館に展示して多くの人々に鑑賞してもらうことこそ100周年記念事業にふさわしい。
 3月31日、ロンドンのクリスティーズで行われたオークションで、安田火災は、ゴッホの『ひまわり』を約53億円で落札。そのニュースは世界を駆け巡り、日本中の話題をさらった。落札額が高額であったことに批判的な声も聞かれたが、同年10月からの一般公開が始まると、人々は期待に胸をはずませて、『ひまわり』の鑑賞に訪れた。
 『ひまわり』の展示を機に美術館入館者数は激増した。開館した1976年から1986年までの累計入館者数は22万176人であったが、『ひまわり』を展示した1987年1年間の入館者数はこれを上回る23万7143人であった。

 
東郷青児(1897‐1978)は「東郷様式」というスタイルを築き、甘美な女性像で知られる洋画家。1921年から7年間フランスに留学。帰国後は、滞仏経験を活かした文筆や壁画、挿絵、装丁で人気を博した。写真(左)はアトリエでの一枚(当時59歳)。右は代表作のひとつ《若い日の思い出》(1968年、油彩・キャンヴァス)部分。
撮影:石井幸之助

「新宿のアートランドマークを創る」

 ゴッホの『ひまわり』を購入してから30年が過ぎた。今年開館41年目を迎えた東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館は、今、次なる夢の実現に向かって歩み始めている。
 新美術館の建設だ。
 「私たちの美術館は、アジアで唯一『ひまわり』に出会える美術館として知られるようになりました。ここを起点に、芸術家を支援する活動や、小中学生への鑑賞教育を行うなど、活動の幅も広がっています。しかし、もっと多くの人に美術館の存在を知っていただき本物の芸術のもつ力を感じていただきたいのです」損保ジャパン日本興亜美術財団事務局長の林圭一さんは、新美術館建設の理由をそう語る。
  新しい美術館を新宿の「アートランドマーク」として、街に新たな賑わいを創出したい。新館の設計・施工は、本社ビルも手掛けた大成建設株式会社。時を経て、再び同じ芙蓉懇談会に加盟する建設会社の協力を得て進められる、画期的なプロジェクトだ。本社ビルに隣接して建設中の新美術館は、2020年春オープン予定。新たな挑戦が始まった。

新館プロジェクトチームのメンバー(一部)。右から林田さん(SOMPOビルマネジメント)、佐々木さん(損保ジャパン日本興亜)、中藤さん(大成建設)、林さん(損保ジャパン日本興亜美術財団)、山口さん(損保ジャパン日本興亜)、髙橋さん(同)ほか、多数で取り組む。国内・海外から多くの方々が来館されることを願い、2020年春オープンに向けて着々と準備が進められている。模型も細部まで、日々、更新・改良されていく。
独立した地上部の施設として新館が完成することで、「美術館がある」ことがより明瞭となる。来館者数の増加が見込めるとともに、西新宿の新たな“顔”としての役割を果たし、人の流れを生みだし街の活性化が期待される。(外観イメージ)
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