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機関誌「エフ」

Fプロジェクト 第15回 
キヤノンマーケティングジャパン篇

「写真・映像文化」醸成プロジェクト

写真がつなぐ想いと文化を、次の未来へ

 キヤノンマーケティングジャパン株式会社(キヤノンMJ)は、1968年にキヤノン株式会社から国内販売部門が分離独立し、キヤノン販売株式会社として誕生した。社会の動きを予測し、顧客や市場の変化に先んじて事業領域を拡大してきた。
 キヤノン製品と写真文化を育み、未来を創るという同社の意志に触れることができる場所が、キヤノンギャラリーだ。1973年の開設から半世紀を超えるキヤノンギャラリーの歩みは、変遷する時代の中で写真というメディアを広く周知、文化として守り、醸成してきた同社の軌跡でもあった。

上/「キヤノンギャラリー S 」(品川・約150㎡)は国内著名作家中心の企画写真展を約1ヵ月半の会期で年間約8本開催。
下/「キヤノンギャラリー銀座(右)/大阪」(ともに壁面長約25m)の写真展はプロアマを問わない公募制。

 東京・銀座の街角にはこの日も多くの人が行き交っていた。目的の「キヤノンギャラリー銀座」は銀座3丁目交差点から晴海方面へと向かう通り沿いにある。行列のできる飲食店も集まる界隈だが、その正面入り口は控えめでシックな佇まいを見せていた。
 ギャラリーには静かに作品と向き合う人たちの姿があった。野鳥の写真を一点、また一点と、その撮影の舞台裏も想像しながら壁伝いに進む。正面奥の壁にある仄暗い通路を抜け出ると急に明るい光が目に飛び込んできた。カメラやプリンターなどのキヤノン製品が展示され、スタッフが来場者に笑顔で接していた。ギャラリーと背中合わせに配置されているショールーム「キヤノンフォトハウス銀座」だった。2階にはサービスセンターも併設されており、カメラやプリンター、映像機器に精通した専門スタッフがキヤノン製品を“安心してお使いいただけるよう”サポートを行っている。
 当初は「キヤノンサロン」の名称で開設された「キヤノンギャラリー銀座」は2023年に50周年を迎え、新たな半世紀の時を重ねている。銀座と同じ形態の「キヤノンギャラリー大阪」、品川本社ビルに開設された「キヤノンギャラリー SJ、「オープンギャラリー1・2」と併せ、現在は3拠点体制で様々な写真展や関連情報の発信、写真家・写真愛好家の情報交換の場、イベント会場としての役割を担っている。

はじまりの時、キヤノンサロン開設

 キヤノン販売(現キヤノンMJ)はキヤノン株式会社から独立して5年目の1973年2月、銀座5丁目のサービスステーションが入る吹原ビル2階に、写真展の会場として「キヤノンサロン」をオープンした。
 キヤノンは1971年にプロ用一眼レフカメラ「F-1」を発売し、先行するライバル社に追いつき肩を並べるべく猛進している時期でもあった。ライバル社は1968年にはすでにサロンを銀座にオープンしていた。
 キヤノンサロンが誕生した70年代の日本は高度成長期の真っ只中にあった。経済的な豊かさが生まれる中で、写真家や報道カメラマンといったプロだけでなく、一般の人々もカメラを手にし、趣味として写真を楽しむ時代が到来していた。もっと多くの人にキヤノンの技術力と魅力を知ってもらいたい、キヤノンのカメラを手に取ってもらいたい。そう願うキヤノン販売にとって、写真作品を展示する場を作ることは、カメラや写真の魅力を訴求する直接的かつ効果的な方法であった。
  「キヤノン製品を愛用されていた写真家の林忠彦さんからも、作品を展示できる場を作ったらどうか、キヤノン製品の魅力を発信できるのではないか、というお声をかけていただいたそうです」
 開設時からサロンの運営に携わっていた先輩から聞いたというエピソードを披露してくれたのは、現在キヤノンギャラリーの運営に携わっているキヤノンMJの林田優子さんだ。
 当初のサロンはカメラのプロモーションとしての役割が大きかったが、サロンを通じて写真に興味を持つ人が増え、いずれはキヤノンのカメラで撮影した作品で発表する側になって欲しい、キヤノン販売にはそんな思いがあった。その思いは叶い、サロンはプロ、アマを問わず公募で選考された作品が展示され、写真の魅力や感動を伝えるギャラリーとして機能するようになっていった。
 1975年8月には大阪にもキヤノンサロンが開設され、銀座と大阪での巡回展示が行われるようになり、その後、国内各都市にもサロンが開設されていった。
 銀座のサロンにはソファーの置かれた一画があり、ゆったりと過ごせたそうだ。プロの写真家たちが折にふれて訪れ、集まった仲間同士で、また運営スタッフやカメラの開発担当者も加わって交流を深めた。時には酒席となることもあった。写真談義を中心に様々な会話が交わされ、その時の話題がキヤノン製品の技術開発に活かされたこともあったという。
  「誰もが気軽に立ち寄れて楽しく会話ができる雰囲気は、キヤノンサロン独特のものだったと思います。当社の企業理念は『共生』なのですが、サロンはまさに「共生」の場で、今もキヤノンとお客様の間に流れる親しみやすい空気は、その頃から変わらないのだと思います」
 写真家の作品発表の場、写真家と来場者との交流の場、そして写真愛好家や興味を持ったお客様が気軽に立ち寄れる憩いの場となったキヤノンサロンは、1982年、写真文化の発展に功績があった個人・団体に贈られる日本写真家協会賞を受賞している。

当初、「キヤノンサロン」は銀座事務所2階に開設(上)。 『キヤノンライフ』1973年2月号誌上にオープン案内記事が掲載され、写真作品の展示会場は初日から賑わった(右)。

  • キヤノンギャラリーの運営やプロジェクトに携わるキヤノンマーケティングジャパンの林田さん。

  • 応接コーナーで林忠彦氏(中央)と東松照明氏を囲み写真談議がはずむ(1977年)。

  • 全国のキヤノンサロンで開催された写真展が記録された手帳(1976年頃)。

  • 日本写真家協会賞受賞を報せる記事(『キヤノンライフ』1982年11月号)。

広がる写真表現の可能性次世代への写真文化の継承

 1987年にはAF一眼レフカメラ「EOS 650」が発売され、1989年には最高級一眼レフカメラ「EOS-1」が、さらに1993年には初心者に向けた普及型一眼レフカメラ「EOS Kiss」が発売された。多様なラインナップを取り揃えたEOSシリーズは、「キヤノンのカメラ」といえば誰もが思い浮かべるブランドへと成長していった。この過程で、様々な新機能を備えるEOSを使いこなしてもらうためのカメラ教室「EOS学園」を1991年に開設した。風景やポートレートなど様々なジャンル、また初心者から上級者まで受講者レベルに応じた講座が設けられ、プロの写真家が直接指導にあたっている。この頃から、デジタルカメラが一般に普及し、誰もが気軽に写真を撮影、共有できる時代がやってきた。
  「一方で、写真という表現の奥深さや、作品としての価値を伝えていくことの重要性も高まってきました」と林田さん。キヤノンMJは、そんな時代の変化を踏まえ、写真文化の発展に寄与すべく様々な取り組みを試みていった。
 1991年には、「写真表現の可能性に挑戦する新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした、キヤノン本社による文化支援プロジェクト」として、「写真新世紀」の公募が開始された。写真史研究・写真批評家の調文明氏は、この取り組みについて、「キヤノンがサロン運営から、アートとしての写真表現に特化したギャラリー運営へと乗り出す大きな転機となった」(『キヤノンギャラリー50周年記念誌写真、そして紡がれる物語』)と評している。
 写真新世紀は2021年に終了するまでの30年間にわたり、1126組に授賞し、国内外で活躍する優秀な写真家を多数輩出した。
 1994年2月、「映像と情報のワンダーランド」をスローガンに当時の幕張本社ビルに開設された「キヤノンワンダーミュージアム」も同様だ。デジタルアートギャラリーやデジタルイメージワークショップ、日本の著名な写真家の作品を多数展示するフォトアートギャラリー、1000冊を超す写真集を収蔵するフォトアートライブラリーを備え、写真をアートとして印象付けた。また、写真はその時代の社会や人々の姿を記録する重要な文化であり、プリントを保存して次の世代へ継承することも大切な使命・役割の一つと考え、「キヤノンフォトコレクション」として日本の写真家を対象にした作品の収蔵も開始した。現在、コレクションの収蔵作品は3000点を超え、「キヤノンフォトコレクション展」として順次ギャラリーで展示をしている。
 21世紀に入ると2003年5月に本社が幕張から品川に移転、「キヤノンワンダーミュージアム」を閉館する一方、新本社ビル・キヤノン S タワー1階に著名な写真家・アーティストの企画写真展を開催する「キヤノンサロン S」を、翌月には2階にオープンギャラリーを開設した。2005年4月には、キヤノンサロン銀座の銀座3丁目への移転に合わせて、全国の写真展示スペースの名称を「キヤノンサロン」から「キヤノンギャラリー」へと変更した。そして「キヤノンギャラリー銀座」は2023年2月、銀座5丁目の「キヤノンサロン」誕生から数えて開設50周年を迎えた。なお、かつて写真家が集った「サロン」スペースは、非公開エリアとして今に受け継がれ、「EOS学園」の講習などにも利用されている。
  「ギャラリーは、写真家の表現を社会に紹介する発信の場であり、また、若手写真家にとっては、自分の作品を発表し評価を受ける大切な機会にもなります。写真展を通じて新しい視点やテーマが社会に提示されることで、写真文化全体が刺激を受け、発展していくのだと思います。ただ、キヤノンMJの取り組みはギャラリーの企画・運営だけにとどまりません。若手写真家の発表機会の創出や育成なども積極的に取り組んでいます」と林田さん。
 1994年から、⾼校写真部の全国⼀を決める全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」の開催に特別協賛し、初戦審査会から本戦⼤会まで機材提供をはじめ様々な場⾯で⽀援を続けている。また、2023年からは作品作りに強い意思を持つ、新しい可能性や才能と出会うことを目的とした写真・映像作家のオーディション「GRAPHGATE(グラフゲート)」を開催、グランプリ受賞者と優秀賞受賞者にはキヤノンギャラリーでの個展開催の機会提供や機材サポートを行っている。

  • 1994年2月オープンの幕張本社ビル(当時)の1階に開設された「キヤノンワンダーミュージアム」。

  • 2005年4月に銀座3丁目に移転、名称変更された現在の「キヤノンギャラリー銀座」。

  • 「サロン」スペース(非公開)には、今も写真家たちが来訪する。

キヤノンギャラリー(品川) 心癒される空間で写真に親しむ

 品川駅から高層ビル群をつなぐスカイウェイを歩いて数分、「キヤノンギャラリー S 」には、休憩を兼ねて訪れたような会社員風の方や、写真を学んでいるのか熱心に鑑賞している若者の姿があった。心癒されるひと時が過ごせるような、やさしい空気が流れていた。静寂な暗い室内に展示された作品を眺めていると日常の雑念は拭われ、写真家が渾身の思いでその瞬間を切り取った映像の世界へと誘われ、引き込まれた。
  「写真は世界から送られてきたお手紙を読むようなものだと思っています。撮影した人の気持ちと写真を見る人の感じ方は違うこともあるし、行間を読むような感じにも思えます。見ている人の心に何かを訴えかける。それが写真の魅力ですね」
 幼い頃から写真が大好きだった林田さんは、時に言葉以上に人の心を動かす、そんな写真の力を信じているという。
 さらに、キヤノンの技術開発と写真文化への思いを語った。
  「キヤノンは長年にわたってカメラ製品や映像技術、プリント技術などを進化させることで写真文化を支えてきました。そしてより多くの人が写真を撮り、楽しみ、共有できるようになりました。また、カメラは人の目が捉えられない瞬間さえも映し出します。2014年9月27日の御嶽山噴火の際、ヘリコプターから山頂付近を撮影していた報道カメラマンの写真から生存者が確認され救助されるということがありました。その時使われていたカメラはキヤノン製のものでした。キヤノンで培われた映像技術が、ただ美しい作品を生み出すだけでなく、時に人命を救助することにも役立っているんです。そうした技術の価値を単に製品として届けるだけでなく、写真を通じて人と人がつながり、キヤノンが媒介となって新しい発見や感動が生まれる場を広げていく。それが私たちの仕事だと考えています」
 キヤノンMJは、これからも様々なアプローチを通じて写真の楽しさや写真表現の魅力を発信し続けていく。

COLUMN

奇跡の1枚の撮影秘話も聞ける!ギャラリーイベントは大盛況

 キヤノンギャラリーの写真展では写真家のトークイベントも開催されている。今回は、主に野鳥を被写体とする写真家・戸塚 学(とづか がく)氏のギャラリートークが開催されていた。
 開催時間になると30人ほどの参加者が続々と集まってきた。自然を背景に野鳥の姿を印象的に切り取った作品には、写真家の感性と個性が息づいていた。撮影時の状況やカメラの機種、レンズの選択など、「どうやったらこんな写真が撮れるのか?」と興味津々の参加者からの質問に、写真家はライティングのポイントからプリント時に使用した紙の選び方まで、惜しげもなく撮影秘話を披露してくれた。野鳥撮影を愛好する参加者からのより専門的な質問にも丁寧に回答、その説明に深くうなずく人、感想を口にする人、説明を聞いてもう一度展示作品をじっくり観賞する人。日頃は静かなギャラリーが、この時ばかりは人々の熱気に包まれる。

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